ドラマセラピストになって15年を振り返ってみる

イギリスの大学の演劇学部を卒業して、日本に戻ったのは1999年の12月の終わり。
子どもの頃、どうなるんだろうと興味を持っていた予言はなんだったのかわからないまま、
2000年を迎えたまだ若かった私には、職もなく、未来も不安だらけだった。

学生じゃなくなった途端、私は全く不自由になってしまった。
両親は、私が演劇で食べて行こうと思っているなどと夢にも思わず、
早く就職をしろと心配している。

かと言って、私は魂を癒す演劇という考えだけを胸に、
これをなんとかできるわけではないことはわかっていた。

そして、まずはお金を稼ごうと決め、
運よく仕事が見つかり、4月から会社員になることになった。

演劇と癒しをどう繋げていいのかわからず、
レイキを学んでみようと思ったものの、2000年の静岡には、
レイキなんてことを言っている人なんて見つからなかった。
レイキを知ったのはイギリスにいた頃で、レイキという日本語から、
日本にいっぱいいるのかも?と期待していたのに。

それからなんでもいいから、私ができることを探してやる!ということで、
インド舞踊を習い始め、その先生がアーユルヴェーダの専門家だったので、
アーユルヴェーダを学び始め、その関係から、レイキの先生が見つかり、
レイキのファーストを授けてもらったのが、その同じ年の夏。

キーワードをたどっていくといいと話を書いたけれど、
これも同じだったなと思う。
私は演劇と癒しを探りながら、まず癒しについて学ぶようになっていた。

と言っても、レイキ学んだけど、レイキと演劇って、どうつながるの??という
疑問は残り、演劇の癒しは全くもってわからないままだったけど。

演劇活動も興味を持ってくれた人と一緒に始めたり、
子どものドラマクラスも2000年の4月から始めていた。

そうやって、なんとか自分を納得させていたけれど、
2001年になり、私はありえないほどの痛みを両足に持つようになってしまった。

生理も何ヶ月も来ていなかったし、
夏でも寒さに震え、身体中が痛くて、風邪ばかり引き、
もう体がめちゃくちゃになっていた。

そんな時に、私は決めた。
もう、ちゃんと自分が進みたい道へ行こう。
自分をごまかしても、無理だ。
怖かったけれど、社会的に安定した仕事よりも、
私は心の安定を選ぼうと決めた。

それから会社員を辞め、英会話の講師の仕事をしながら、
アメリカへの留学の準備を始めた。

そして2004年夏にドラマセラピストになり、
アメリカから戻ってきたのは2004年の12月の終わり、
私は2005年からドラマセラピストとして活動を開始したのだけれど、
その時ものすごく驚いたのは、
レイキという言葉を、目にするようになっていたこと。

それから5年間、できる限り頑張って活動をし続けた。
ドラマセラピーを知ってほしい、ドラマセラピーができる場所を開拓したい、
現場を増やしたい。
その一心で、営業活動を頑張り、
様々な大学でも教えさせてもらったり、
施設などでのドラマセラピーも始まり、
子どもからお年寄りまでドラマセラピーを紹介させていただいた。

 

でもセラピーという言葉に対してはまだまだ偏見があったし、
ドラマセラピーに来ていることを隠したいという方も多かったし、
HPなど宣伝用に使いたくても
ワーク中の写真なんて撮らせてもらうことはもっと難しかった。

 

もちろん、興味を持ってくださる方はたくさんいたし、
地元のメディアには何度も取材をしていただいた。

 

この5年の間、レイキはどんどんその名を知られていき、
スピリチュアルという言葉はもっと使われだした。
でも私は、営業を重ねながら、たくさんのネガティブな言葉を浴びることもあり、
ドラマセラピーがなかなか理解してもらえない悲しみをいつも持っていた。
ただ、レイキなどのヒーリングへの興味が増えていることは嬉しかった。

 

いろんな流れが変わり、
力を入れていた仕事と大学での仕事の契約が切れてしまい、
2010年の11月に、今度は私はポーランドへ行くことになった。
大学時代に知った、グロトフスキをちゃんともっと学ぶために。

 

そしてポーランドから戻ってきた2012年。
少しだけ何かが変わってきた気がした。

セラピーという言葉に対して、以前感じたような偏見やネガティブな目に代わって、
ドラマセラピーに興味を持ってくれる方が以前より増えてきたのがわかったのだ。

その後私は本を出版できたし、
ワークショップもしやすくなった。
ドラマセラピストになりたいと言って連絡をくださる方も出てきた。

そしてレイキはもっともっと知られていて、
レイキという言葉が、全然怪しくない感じで存在していた。
(もちろん怪しいと思う人はまだまだいるだろうけれど)

この15年で感じることは、
ドラマセラピーがもっと受け入れてもらえるようになっていること。
現場を増やしたいと思っていたけれど、
頑張っても、私は一人しかおらず、結局仕事を断るようになっていたし、
出産してからは、継続できなくなっている仕事もいくつかある。
だから、
そしてこれから私は、次のミッションとして、
ドラマセラピストを育てていくことを考えたいと思っている。

これからはドラマセラピストという仲間を増やしたい。
レイキみたいに、学びやすいものではないけれど、でも、
学べる環境を作る!

これから、ドラマセラピストを育てていくための準備をしたいと思います!

今日もお読みくださりありがとうございました。


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