私とみんなを繋ぐ見えない糸 子どもたちとのドラマセラピー

ドラマセラピーは子供たちにとっても大変効果的な心理療法だ。
ここで少しだけアメリカでの私の体験の一つを書きたいと思う。

それは、5歳から6歳くらいの子供たち8人のグループだった。
ベテランドラマセラピストともにコ・リードするものだったので、私自身もとても安心してのぞめた。だが、一見無邪気な子供たちのほとんどが、決していいとは言えない家庭環境の中におり、彼らの心が何かを必要としているのが最初から感じ取られた。

絶対に誰かを傷つけるようなことを言ったり、したりすることは禁止。みんなのエクササイズを邪魔することは禁止。
グループの基本的な決まりはこの二つ。
もしも破った場合は、部屋の隅にあるマットの上でほんの少しだけ活動を休むことになる。
このマットは少しグループから離れたいと思ったときも使用できることにした。ただし一人しか入れないので、もしも誰かと重なったら上手に話し合いで決めることも、ルールに付け加えられた。

子供たちとのワークにおいてルールはある程度必要だ。
教育とセラピーとなると、大きな論争に入り込むこともあるが、やはりある程度大人として子供を指導する立場であることは、教師もセラピストも同じだ。

私たちはドラマセラピーの特徴の一つでもある「儀式的」な要素をふんだんに取り入れたセッションを開始した。小さな子供たちは何故自分たちがこのグループにいるのかもわからなかっただろう。しかし儀式は私たちを一つにし、何かを一緒にするのだということと、このグループが大切な仲間になるのだという考えを簡単に彼らに与えたと思う。

“I’d like to learn to trust you.” (あなたを信頼することを学びたい。)

そう言いながら、私は隣に座るRちゃんに卵をそっと渡す。卵はゆでていないものだ。落としたら割れてしまう。それをそっとRちゃんに渡すと、今度は彼女がそのまた隣の男の子D君に同じことを言いながら卵をそっと渡す。円になって座る10名が同じことを繰り返す。これをセッションが始まるときに必ず行う。

この象徴的行為の意味を子供たちがどこまで理解したかは分からないが、私はドラマセラピーにおけるこんなスピリチュアルな部分をとても大切にしている。(実際にその後のセッションはまるで魔法のように行われたような気がしてならない。)
卵は話し合いの結果、”Eggy” (エギー)と名づけられた。エギーが手元にくると、私たちはエギーに挨拶し、エギーとお話をするようになった。エギーは私たちにとって、とても大切な存在になった。

信頼なくしてセラピーは成り立たない。このグループでの私たちの目標は、子供たちが心の中に、たとえ小さくても何か支えを得ることだった。だが学校から与えられたセッション数はたったの40分を7回だけ。

セッションは音楽やダンス、ゲームを使うなど、様々な形をとった。自分たちの中にある感情を表現できるようにするため、少しずつ子供たちの心をほぐすことが最初の目標だった。

D君があるとき、真夜中に父親が家を出てしまうとモンスターがやってくるから怖いと話した。彼はそれを思い出したのか泣き出してしまった。それに続いたのはRちゃんだった。怖いとき守ってくれるはずの存在が彼らにはなかったのだ。

Rちゃんの母親は体が弱く入院しており、彼女は18歳のお姉さんとそのボーイフレンドと一緒に住んでいた。父親はいない。私の隣にすわるとき、彼女はぴたっとくっつき、そのうちひざに乗ってくる。毎週一回のセッションを、いつも楽しみに待ち、誰よりも早く私たちを出迎えてくれる。彼女がどれほど母親を欲しているのか私には痛いほどよく分かった。

そこで私たちは「自分のことを強い子だと感じた瞬間」を再現することになった。例えば「大きな声で話すことができたとき」だとか、「先生にほめられたとき」。全員その瞬間を再現し、それぞれその瞬間を心と体の両方で覚えていられるようにね、それがいつでも自分たちを守ってくれるよと私は言った。
しかし私はどうしようもない悲しいやりきれない気分でいっぱいだった。こんな小さな子供たちには、酷ではないだろうか。彼らにとって、もっとも必要なのはやはり親なのだ。

その次のセッションで、私たちは即興で劇を作ることになった。設定や登場人物も話の内容も少しずつみなで決めながら進めるものだった。役をもらった子供以外は、ライターの役割をもち、話を作っていく。簡単な筋書きはこうだ。
「森の中を男の子と女の子が歩いているとモンスターに出会う」

「モンスターだ!」男の子役のD君。
「次はどうなるの?」と私。
「やっつけよう」ライターの一人が言った。
その言葉にD君だけでなくみな立ち上がりモンスターとの戦いが始まった。しかしおもしろいことに、彼らが相手にしたのは、モンスター役だったもう一人のセラピストではなく、目には見えない大きなものだった。わたしたちはいつのまにか全員で見えないモンスターと戦うことになったのだ。思い切り暴れて疲れてきた頃、いつもはおとなしかったCちゃんがいった。
「そろそろお休みの時間よ」
ということで私たちは全員その場に横になり、お話はおしまいとなった。

今思えば、この話は必然だったのだろう。D君が話してくれた恐れと、結果として次のセッションで、グループみんなで力を合わせて戦うことになったのだ。ここではじめて、私は前回感じた違和感を子供たちに引っ張られて埋めることができた気がした。

セッションの最後の日、いつものとおり私たちはエギーにさよならをした。今回は本当に最後のさよなら。子供たちはひとりひとり、エギーを大切そうに触った。
エギーにはマーカーで可愛らしい洋服が描かれた。

そして小さな円になって立ち、前に差し出した人差し指をみんなとくっつけた。
「私たちの人差し指からは目には見えない糸がでているの」
そういいながら私たちは一歩一歩、円を大きくするように後ろに下がった。そうすると目に見えない糸がすっと伸びる。
「どう?少し離れても、この糸はずっと続いているの。だから私たちはどこにいったとしてもずっとつながっているの」
「サチが遠くの日本に帰ってしまっても?」
Rちゃんが言った。
「そう。たとえもし私が日本に行っても、どこの国に行っても、ずっと。もしも私のことを思い出してくれたら、それはそのとききっと私もみんなのことを考えているってことだよ」

子供たちとのセッションで私はいつも、いったい自分に何ができるのだろうと悩んだ。子供にとって本当に必要なものを、私はあげることができないのだから。私の先輩であるセラピストがこう言ってくれた。
「でも、あの子達が、自分の人生の中にこういう大人がいたんだって、思うこともあるはず。そしてこういう場所があったんだって、思い出すよ」

確かに私ができることは限られている。しかしドラマの力で私たちは一つになり、悲しみも喜びも、怒りも恐れも、いろんな感情を共有した。

私は今でも彼らと糸がつながっていると思う。心のどこかで。


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