心を自由にするドラマセラピー 想像力と遊び心

エレノアとのセッションの続きです。

辛い現実を受け入れるために、想像の世界に入っていく・・・

ドラマセラピーの核といえる基本概念を三つの言葉で表すと、「想像力」「創造性」「自発性」があげられる。
ドラマセラピーの様々な理論と手法を集めた論文集“Current Approaches in Drama Therapy”では、
「想像とは右脳の、夢のような、または象徴的な言語であり、個人の癒し、成長、そして発達のために、芸術を通してアクセスできるものである。創造とは、私たちの個人的な限界を超えて考える能力であり、その瞬間に存在し、新たな方法で世界を自発的にみつめて反応することができることを言う」(Lewis, 2000)と説明されている。

  しかし、エレノアにとって「想像の世界」は近づいてはならない場所であった。
彼女は、自由に動けなくなってしまった自分にはもう夢がない、夢を想像することは自分を苦しめるだけだと決め付けていたのだ。だから看護師に「今日は何か夢を見た?」という質問をされるだけでも、無神経だと腹を立てた。
しかし、夢のない世界に住むといっても、もともと芸術を愛していたエレノアの心は希望や夢で満ち溢れていたはずだ。

 身体的な限界を象徴するかのような小さなスケッチブックと向き合うとき、彼女は常に自分の限界と失ったものの多さを思い知らされていたのではないだろうか。絶望と怒りの中で自分の「下手くそな絵」を見つめていたエレノアに、「その絵が好き」だと言って現れた私の存在は、彼女の限界を超え、新たな愛すべき自分を発見する手伝いをする役目を持っていたのだろう。
私はエレノアが想像の世界へ入っていくために必要だった移行対象のような働きをしていたのかもしれない。

それは、画集ではなく、エレノア本人の絵から話を展開させていくことから始まった。
エレノアとのセッションが始まり2ヶ月ほどの10月半ばのことだった。
絵は同じ施設にいた「ウィル」という同性愛者の彼女の友人だった。私たちは「ウィルがカストロ(サンフランシスコにある同性愛者で有名な町の名前)に恋人を探しに行く」というシーンを作ることになった。
「ウィル」の登場は、エレノアが最も恥じていた問題の一つであった「恋愛」というテーマの登場でもあった。
エレノアには施設の中に片思いの彼がいたが、高齢の彼女にとって、恋愛は恥ずべき領域だったのだ。
しかし、「ウィルの恋人探し」は、エレノア自身が密かに望んでいた想像の世界を広げることにつながった。
思いを寄せる彼をシーンに登場させたり、デートのシーンを作り出すことが、頻繁に起こるようになったのだ。
しかし、想像の世界を楽しむことは、依然としてエレノアにとって痛みが伴うものだったのかもしれない。その結果、そんな想像の世界を提供する私は、彼女の怒りの矛先となった。

 「私は想像や夢と現実をごっちゃにしてしまう。眠っていて夢を見ていると、朝起きたときに苦しくなってしまう。どれが本当か嘘なのか分からないから」

 エレノアが私のドラマセラピーに文句を言い出したのは、ウィルの登場から1ヶ月も経たない頃、グループセッションの中で彼女が居眠りをしたときだった。
「何故、私を起こさなかったのか!」グループが終了し、眠りから覚めたエレノアは私に怒りをぶつけた。ナルコレプシーを患っていた彼女は、若い頃両親から「恥ずかしい娘」と扱われ、あまり外に出してもらえなかったそうだ。
そのせいか彼女は人に見られることを極度に嫌っていたため、居眠りをしてしまうことを恥じ、自己嫌悪に落ちた。

「あんたは、頭のおかしい人、想像の世界よりも、私は、現実が、ほしい。現実、現実!」

辛い現実を受入れることができずにいたエレノアが欲しいという現実とは一体何なのか。

「朝、起きると、夢が、終わっていて、現実が、待っている。私は、現実が嫌だ、現実なんて、欲しくない」

 矛盾したエレノアの話を真剣に聞きながら、エレノアが欲しい現実とは、若い頃絵を描いていた自分、恋愛をしていた自分、もっと動き回っていた自分のことを言っているのだと理解した。今ここにある現実は彼女には受入れがたい苦しみであった。
そんなエレノアに本当に必要だったものは、「新たな方法で、つまり創造的に、現実を見つめ受入れる力を得ること」だったのだろう。エレノアの矛盾した言葉のように、現実を受入れるのには、現実からある程度の距離をおかなければならない。

 

遊ぶことで乗り越えられる

「創造することに伴う不安は、遊ぶことによって克服される。この遊ぶことは、芸術作品を作り上げるさいに、無限と有限という二元論を乗り越える人間的な方法である。」(May,1985)

エレノアとのドラマセラピーセッションで私が取り入れたのは、Developmental Transformations、発展的変容と呼ばれる技法であった。発展的変容ではセッションが行われる部屋を「プレイ・スペース」と呼び、セッションを「as if」の世界の遊びだとみなしている。このas ifという概念が、現実からの距離を保障する。エムナーによるドラマセラピー理論「統合的五段階モデル」の中でも、「ドラマ遊び」が、セラピーセッションの基礎ともなる第一段階だとされている。「ドラマ遊び」の段階で、グループは楽しく交流的な遊びを通し、コミュニケーション能力を育て、自信や自己価値観を高めるだけでなく、他の参加者への感謝の気持ちを育てることができるようになっていき、グループ間の信頼関係を築いていく。エレノアと私は画集からドラマを作り上げる過程から同じことを目的としていた。

またエムナーはドラマ遊びの過程において、前述のドラマセラピーの基本概念の一つである「自発性」が大切な側面としている。(1994)自発性がなければ、人は「今この瞬間」に存在することはできない。自発的であることは、他者に影響されずに、自らの心の欲求を表現できることである。そして自発的であることにより、私たちは真に「私たち」になりうるのだと考えられる。

 発展的変容は、クライエントと共に、その場で生まれ出たイメージやテーマを即興的に演じながら繋げていくというアプローチである。言ってみればクライエントの「自由連想」を、実際に演じていくことである。文字通りイメージが発展し変容していくのを、流れにまかせながら観察することが必要となる。
エレノアのように、感情が一定せずに矛盾した気持ちが入り交じっている場合、流れるままにその気持ちを表現することによって、心を解放することができるのではないか。
またその瞬間、瞬間の彼女自身の気持ちを、遊びを通して表に出すことで、エレノアが自発的でいられるのではないかと私は考えた。そこで浮かび上がるイメージこそが、まず私たちが客観的に見つめなおすべき「現実」なのだろう。

 私はその時々に彼女のイメージに合わせた役割を演じることになったが、私の基本の役割は変わらず、「エレノアの手足」であり、そこから新たな可能性を見つけ出すことができるのだと信じていた。
その基本的な役割を出会ったときから常に持ち続けたために、それがプレイ・スペースの安定につながり、彼女が安心してセッションに臨むことができるようになったと思っている。
また、エムナーの言うように、セラピストの私自身が活発に動き、ドラマ遊びに参加しながら観察したことにより、根底にある問題やテーマを深く理解できるようになったのだろうと思う。

(シーン例1:E=エレノア、S=筆者) 

S:私も一緒にその天国に行ってみてもいいかな

E:あなたは、まだ若すぎる

S:でも、想像でなら、行っても大丈夫。天国では何が見えるのかしら。

E:めがねがなくっちゃ、見えないよ(憮然と)

S:じゃ、めがねとってあげる

E:めがねなんて、ないよ

S:そっか、それなら想像のめがねを、どうぞ

 

 エレノアが「想像と現実の違い」にこだわっていることを知り、私はあえてそのテーマを提案した。この内容を扱うにあたっては、かなりの信頼関係が築かれていなければならなかっただろう。また、彼女がユーモアのある女性であることを知っていたからこそできたことである。私が想像のめがねを取り出すと、エレノアは怒り出した。

 

E:No! 私は、想像の世界は嫌い!あんたは、頭がおかしい!だから、頭のおかしいあの人たちに「あんたたちなんて嫌いだ」って伝えてきて!

 

 頭がおかしいと呼ばれた私はさておき、「頭のおかしいあの人たち」とは一体誰なのだろうか。自分をとりまく現実すべてが嫌いだったエレノアにとって、それは「自分に現実を突きつけてくる人」つまり、「施設にいることを思い出させる人たち」を指していると思われる。そこで私は、本当に「頭のおかしいあの人たち」に向かって、「あんたたちなんて嫌い」という言葉を投げることにした。実際に私がドアを開けて、スタッフや他の入所者に大きな声で叫ぶのを見て、エレノアは文句を続けた。

 

E:ふざけないで。私は、想像の世界が、嫌い

S:でも、今は本当に、現実にやってみたんだけど。

E:想像の世界だよ

S:今のが想像?ってことは、現実はどれ?

E:だから、あんたは、頭がおかしい、って言ったでしょ

S:そうか、私は頭がおかしいんだ・・・どれが想像でどれが現実か分からないみたい。

  確かに私は、頭がおかしいね。

E:(面白そうに笑う)

E:私は想像の世界が、嫌い。だから、ウィルの誕生日のケーキを持ってきて

S:ウィルの誕生日なの?

E:そう、ウィルの誕生日。だから、ケーキ持ってきて

S:ウィルのケーキ・・・うーん、困った。ケーキは私も食べたいけど、「本当に」はないなあ・・・想像のケーキでもいい?

E:No!本物じゃなくちゃだめ!言ったでしょ。想像の世界は、嫌い!

E:(大笑いして)あなたの勝ちみたい。はい、握手。(二人が握手をする)

・・・じゃあ、本物のウィルのケーキ早く持ってきてね。

 

 これが私とエレノアが初めて「想像の世界」をテーマにしたワークである。私の勝ちだと言いながら、結局彼女の最後の言葉で分かるように、その日のセッションで実際に勝ったのは無理難題を私に押し付けたエレノア本人であろう。
実はその日は本当にウィルの誕生日で、エレノアはあとでウィルのケーキが皆に配られることを知っていたそうだ。

「想像」を代表する私に勝つことにより、エレノアが「夢見てはならない」と禁じていたことや、
その恐れを乗り越えようとしているのを私は感じた。

 その次のセッションの初め、彼女は私が部屋に入ってくるなり、にやっと笑いながら「現実が欲しい」と言い、私たちは同じような「想像と現実」をテーマにワークを行った。
そして次のセッションになってからは、彼女の第一声が「想像の世界へ行く準備、できているよ」という言葉に変わっていた。

彼女にとって受入れがたい「現実」を一緒に受入れるために、
私は「想像の世界」へ彼女をつれていくことに成功したのだろうと思う。


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