それで、奇跡って一体なんなんだ

奇跡のコースを学び、実践し始めているそのラーニングプロセスを
時々こちらのブログで紹介していきます。
私はまだ何にもわかっていない初心者なので、間違っていることもあるかもしれないけれど、
奇跡のコースというとても難しそうなこの学びを
その時々の私が綴ることも、役にてることがあるのかも??と思いながら書いてみることにしました。
よかったら時々見にきてくださいね。

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奇跡のコース、というと、
奇跡を起こしてくれることのように思えてしまう。

でも、奇跡ってなんだろう??と思うと、

それは、
今まで困っていたことが、いつの間にか解決されていたり、
好きになってくれない人が、自分を好きになってくれたり、
急にお金が入ってきたり、
夢が叶っちゃったり、、、
なーんてことを考えてしまうかもしれない。

でも、奇跡のコースで教えられる奇跡とは、
多分、そういうことではないような気がする。

私たちが見ている世界が、すべて幻想で、嘘で、
私たちは真実を見ていないということに気づいた時、
目の前に起きているドラマにとらわれることなく、
真実を見せてくださいというお祈りの中に、自分を見出し、
そして、その中にあっても、
傷つかずに、そして何も起きていないことに気づけること。

 

そこに奇跡があるのだと思う。

問題だと思っていたことが、
問題ではないことに気づけるし、
そもそもそれは存在してさえいないことにも気づけるので、
それが解決して欲しいと思う必要さえなくなってしまう・・・

 

最初私は、
こういう心の状態になれば、私が願う現実に向かって
物事が進んでくれるんだと期待していたところがある。
でも、現実は私が願うように変わっていかないので、奇跡って私には簡単は起きないんだと思ってしまった。

でもそれは、結局やっぱり問題を問題と見ている状態で、
それが現実ではないと信じていないことになってしまう。

 

私にとって、最初に理解するべきだったことは、
奇跡とは、私の心の状態が安心の中にいることだったということ。

目の前に起きているドラマが現実ではないのなら、
それがどう展開するかをきにする必要は全くない。
だってすべて私の心が作ってしまったことで、すべて存在していないのだから。

それが頭ではなく、心に響いた時、
自信を持とうとするのではなく、ただ安心感が心に広まったように、
私に真実が見えたのだと思う。

それが奇跡。

物事がどう変わるのかにはもう執着していないので、
どうなるのかは関係ない。

ただ、やっぱりその心の状態にあることで、
物事は私が望んでいた方向かどうかはわからないけれど、
確かに何か良さそうな方向に進んでいる気がする。

だから、自分の心が真実を見ることができるようになったら、
目の前のドラマに、おまけのようにいい変化が現れるってことなんだと思う。

 

多分、そういうことじゃないのかな。

 

今日もお読みくださりありがとうございました。


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