カウンセリングの感想

スカイプ個人カウンセリングを受けてくださった方からの感想を頂きました。

私がカウンセリングを始めることは、少なからず勇気が必要なことでした。

それまで生きてきて、数度はクリニックみたいな機関へ行こうとして、一度はその玄関口まで行ったものの、それまでに通院したことのある内科、皮膚科、歯科、耳鼻科のように見えました。
病気を治すところに見えて、もう充分に気持ちが沈みきっているのに、自分を弱者に位置づけるようで抵抗感がありました。 最後のその意地を手放したら、自分のコントローラーを捨ててしまうようで嫌だったのです。 でも、自分で救い出せないけど、救われたい気持ちにいつも包まれていました。

さちさんを勧めてくれたのは妹でした。 大学の友人づたいに、彼女たちの大学とカウンセリングを介して関わっていたのが、さちさんでした。 自宅でSkypeを利用してカウンセリングができること、それが都内で一人暮らしをする私には最適な条件でした。

はじめは不慣れもあり、あれだけ通院を拒絶していたのに、今度は対面じゃないことに効果が半減しないかなど、自分本意で都合のよい不安を覚えました。
その心配は無用です。私にはこれしかない、これだけが自分の深層につながっている、ここが一番自分の声を聴いてもらえると徐々にわかって、セッションにとても集中するようになりました。 約束の時間にログインすれば良くて、億劫で通えない理由も生じず、安全な自分の部屋から気持ちを少しずつ開けば、いつも大丈夫でした。さちさんは、いつもそこにいてくれました。私の人生で、いつもそこにいて聴いてくれる、はじめての存在でした。

家族、仕事、自分自身、恋愛などを人は抱え、押し潰されそうなとき、どうすればいいんだろう。 そう思ったときに正解はネットやニュース、雑誌、雑談、書籍から溢れ出すのに、私への答えはどうしてどこにも無くて決して届かないのだろうと泣きたくて、人前では頑張れても、どこにも安心する居場所が無くて、現実感がうすくて窒息しそうだったのが、カウンセリングを始める前の私です。

カウンセリングに慣れてきた頃に、不思議だった感覚があります。 PCモニターに自分と、さちさんの顔が映っています。さちさんがじっと聴いてくれる、質問してくれる、繰り返し声にしてくれる姿が自分と二重写しになり、もう一人の自分が励ましてくれているような確信に近づいていくのです。つまり、自分が一番そばで自分を肯定し、聴き、声にして、いつもそこにいてくれるという、とても不思議な初めての経験です。

セッションはとても集中したり、意識的にリラックスさせたり、緊張と弛緩を繰り返します。 深い深いきれいな海の水面から海底に潜ったりするようなアクションです。 そのとき、自分とさちさんを識別する意識はあり、同時に、信頼できる存在のさちさんに自分を投影する、とてもポジティブで潜在的な意思や希望が現れたように思いました。それは私にとって、止まっていた息を吹き返せたような、自分で自分を祝福すべき素晴らしい経験でした。
2年弱のセッションを、さちさんと過ごしてきました。 隔週で月に2度、週末の休みの朝に1時間ずつ。

そう振り返るとしんみりするのはなぜかな。 頭で考えても難しい、苦痛以外のこの気持ちを、感じられるようになりました。

私はいま、現実を穏やかに認識しています。 大きな不安や興奮ではなく、落ち着いた世界がまずあり、そこから複雑に様々に広がる人間と自然の世界です。 また、過去を思い返したときも、それが現実だったのだと今は認めることができます。 日常の一般的な社交、仕事や生活は、素直な感情と一定の理性で自分らしい温度を伴っています。

もし、正解は知っているのに、苦しくてどうすればいいか分からなくなったら、私は自分が安心して信じられる存在と一緒に、自分の息を吹き返す方法を選びます。 それは、私がさちさんと出会って見つけた、現実の経験だからです。